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AI時代の『頭の良さ』— 知覚力+接続力 Sense-driven Company の採用面接・実践編

Sense-driven Society——AIと共存する社会の条件

偏愛を載せるベースラインは「接続能力」——Sense-driven Company の採用面接・実践編

前回の記事「あなたの偏愛を聞かせてください」は、意図的に尖らせて書きました。学歴・資格・志望動機という現状の採用基準へのアンチテーゼとして、知覚——何に気づけるか——だけに焦点を絞ったのです。

しかし当然ながら、鋭い知覚能力だけあれば社会で活躍できるわけではありません。それは、高性能な画像センサーが、単体ではカメラの役に立たないのと同じことです。センサーはレンズと画像処理エンジンとシャッターに組み込まれ、「カメラ」という系になって初めて写真を撮れる。人も同じで、組織という系に組み込まれて初めて、知覚は成果になります。

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だから、組織におけるベースラインの能力は、やはり必要です。ただし——ここからが本稿の主題ですが——そのベースラインがもはや試験の成績や処理能力でないことも、また明らかです。処理はAIに移りました。ではアップデートされたベースラインとは何か。接続能力である、というのが私の答えです。

センサーを集めても、知覚は生まれない

前回の面接設計が測っていたのは、正確に言えばセンサー単体の性能でした。感度が高く、他と重ならない見え方を持ち、更新され続け、素早く反応する——優れたセンサーの条件です。

しかし、会社が採用するのはセンサーではなく、人です。そして組織の知覚は、優れたセンサーを集めただけでは生まれません。センサーネットワークを思い浮かべてください。高性能な素子を100個並べても、それだけでは観測網になりません。信号を送る伝送路が要る。どこに向けて観測するかの観測計画が要る。素子同士の誤差を打ち消し合う相互校正が要る。

個人の鋭い知覚が組織の知覚になるためには、同じものが必要です。私はこれをまとめて接続能力と呼びたいと思います。接続には二つの方向があります。

下りの接続——センシング結果を、AIに渡す

一つめは、AIへの接続です。

Sense-driven Companyの分業では、人間が知覚し、AIがモデル化と実行を担います。ということは、この分業には受け渡しの瞬間がある。現場で拾った違和感、顧客の表情の変化、言葉になる前の気づき——それをAIが動ける形に言語化し、構造化する能力が、分業の蝶番になります。

これはいわゆるプロンプト技術の話ではありません。技術は覚えれば済む。難しいのは手前にある「知覚の言語化」です。自分が何に引っかかったのかを言葉にできない人の知覚は、どれほど鋭くても個人の中で死蔵されます。AIに渡らず、仲間にも渡らず、本人の勘として消費されて終わる。組織から見れば、接続されていないセンサーは、存在しないセンサーと同じです。

ここで、論理性と表現力が戻ってきます。ただし「頭の良さの証明」としてではなく、知覚を組織の資源に変換する接続能力として。測り方も偏愛面接の延長で設計できます。たとえば語りの途中でこう聞く——「いまの魅力を、AIに説明して、似た作品を探させるとしたら、どう伝えますか?」。豊かに感じたものを、他者(この場合は機械)が扱える形に畳み直せるか。感じる力と伝える力は別の能力で、両方が揃って初めて分業が回ります。

横の接続——仲間と、センスすべきものを決め、高め合う

二つめは、仲間への接続です。こちらは二段階あります。

まず、何をセンスすべきかを、仲間と決められること。 個人の知覚は放っておけば自分の関心事に向かいます。しかし組織のセンサーネットワークには観測計画が要る——いまチームとして何を見るべきか、どの顧客の、どの変化に注意を向けるべきか。この「注意の共同設定」ができない人は、どれほど高感度でも、組織の知りたいことを拾ってくれないセンサーになります。

次に、見えたものを共有し、高め合えること。 自分の知覚を仲間に伝え、仲間の知覚に触発されて自分の見方を更新する。一人の「気のせいかもしれない違和感」は、別の角度からの観察と突き合わされて初めて、確信や発見になります。センサー同士の相互校正です。

実はこの能力には、深い裏付けがあります。発達心理学に共同注意(joint attention)という概念があります。生後9ヶ月ごろの人間の赤ちゃんが、養育者と「同じものを見て」、視線で注意を共有し始める——チンパンジーにもほとんど見られない、人間固有の社会的認知の基盤で、言語も文化もこの上に育つとされています。「仲間と同じものを見る」「見えたものを教え合う」は、人間が最も深いところに持っている能力であり、そして(当面)AIにはない能力です。組織のセンサーネットワークは、突き詰めればこの共同注意の上に建ちます。

ここで、理解力と共感力が戻ってきます。相手の言わんとすることを汲む理解力がなければ観測計画の合意はできず、他人の見え方を面白がる共感力がなければ相互校正は機能しない。これらもまた「人柄の良さ」ではなく、知覚をネットワーク化する接続能力です。

更新された採用モデル——三層で見る

整理すると、Sense-driven Companyの採用は三層になります。

第一層はセンサー性能。感度・直交性・更新性・結合性。これは前回の偏愛面接で測ります。

第二層が今回の接続能力。AI接続力(実体は論理性と表現力)は、偏愛の語りの中に「AIへの説明」の演習を挟んで測る。共同知覚力(実体は理解力と共感力)は、グループでの観察課題や、他者の偏愛語りへの応答で測る——他人の見え方に触発されて、自分の見方をその場で更新できる人かどうか。

そして第三層は、採用ではなく組織の側の設計です。せっかくの接続能力も、率直に見えたものを言える心理的安全性や、共有の場がなければ機能しません。センサーを活かすも殺すも、最後はネットワークの設計次第——これは採用担当ではなく経営の仕事です。

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三層採用モデル

こうして見ると、冒頭の主張の中身が埋まります。論理性・理解力・共感力・表現力というベースラインは、たしかに必要です。ただしそれは「AIがあっても変わらない普遍の基礎学力」だからではありません。知覚が価値の源泉になる会社では、知覚を組織につなぐ能力の価値が、知覚そのものと同じだけ上がるからです。

つまり、ここまで来れば、こう言い切ってよいのだと思います。

新しい時代の「頭の良さ」= 知覚力 + 接続力(論理性・表現力・理解力・共感力)

かつて「頭の良さ」の中身だった記憶力や処理速度は、AIに移りました。その座に就くのは、世界から何を拾えるかという知覚力と、拾ったものをAIと仲間につなぐ接続力です。論理性と表現力はAIへの接続に生き、理解力と共感力は仲間への接続に生きる——古い能力が消えずに残るのではなく、頭の良さの定義そのものが組み替わるのです。しかも実際には、この式は足し算というより掛け算に近い。接続されていないセンサーは、存在しないセンサーと同じなのですから。だから、試験の成績や処理速度が物差しだった時代のまま「地頭」を測っても、この新しい頭の良さは見えません。

おわりに——偏愛を聞き、接続を見る。次は、統合する人

面接室での合言葉は、こう拡張されます。「あなたの偏愛を聞かせてください。そして、それを私たちに——そしてAIに——伝わるように語ってください」。センサーとしての性能と、それを組織の知覚に変える接続能力。Sense-driven Companyの現場人材の採用は、この二つで一組です。

そして、この採用モデルには、もう一つの椅子が残っています。接続されたセンサーたちの信号を統合し、ゴール設定と意思決定に変える統合器官——マネージャーです。バイアスの管理、異質な知覚を翻訳する理解力、注意を配分する選択力、新規性への開放性。センサーの採用とはまったく別の設計が要るこの人選について、次回書きます。


本稿で触れた概念・参考文献

  • 前回記事: 「あなたの偏愛を聞かせてください」——Sense-driven Companyの採用面接(自社Blog/Note・リンク挿入予定)
  • センサー人材の四要件/偏愛面接: 第3弾を参照
  • 共同注意(joint attention): 乳児が養育者と注意を共有する、人間固有の社会的認知の基盤。Joint attention (Wikipedia) / Michael Tomasello『コミュニケーションの起源を探る』などの研究系譜
  • 暗黙知の言語化: 第1弾「Sense-driven Company」の個人レベルの実践(言語化してAIに渡す⇄AIから知識を得る循環)を参照
  • 心理的安全性: チームの学習・率直な発言を支える環境条件(Amy Edmondson の研究系譜)